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実録/瑪瑙ルンナ1

ワタクシ、生まれは昭和です。って、当たり前か。(汗)
いつ生まれたかという正確な年代は伏せさせて頂きます。(でも調べたらすぐわかります)

、、、、、、時は、「戦後まもなく」とでも、しておきましょう。

場所は福岡県の北九州市の門司港というところです。
九州の一番先っちょで、山口県が海をはさんで見えます。演歌でおなじみの海峡っていうヤツですね。
関門海峡っていうんですけど、川みたいに向こう側が見えるんです。
今では関門大橋っていう立派な橋がかかってますけど、その当時は橋なんてなくて、山口県に行くのは船でした。船だと15分くらいです。

門司港の歴史というのは、大変興味深く、地理的に中国大陸に一番近い場所なんですね。
なので、昔から港町として大変栄えて、1800年の終わり(明治の終わり頃)に「鉄道」というものが出来た頃は、大陸貿易との拠点となり景気もよく、もういろんな人が出入りして、「門司港に行って、一旗揚げる」みたいな風潮があったらしいです。(情報元=祖父)なんせ、天皇様もいらっしゃったくらいですから。
戦争バブルで毎晩パーティー、パーティーで芸者挙げての乱痴気パーティーを繰り広げていたらしい。
(情報元=父)
貿易で栄えて大陸文化との交流もあったらしいです。満州とか大連帰りがカッコいい!みたいな。(情報元=親戚のおばちゃん)

ところがですね、その繁栄が衰退していきます。戦後になって中国との貿易がなくなりました。そして関門トンネルという海底トンネルなどができて、(それは門司港は通過されてしまい)お隣の小倉というところに人気が移行してしまいました。
門司港は大学などもないので、若い人はどんどん町を離れ、斜陽都市さながら、活気のない町となってしまいつつある時。。。。。。。
この時点で私が生まれてしまいました。は〜〜。運命のはじまりです。

あ、ここで、私を作ったウチの両親についてです。
ウチの両親は大学で知り合いました。当時の父はモテてたそうです。(情報元=母)苦笑
郷ひろみみたいだったらしい。(情報元=父自身)汗
その頃は結婚というのは「お見合い」がまだまだ主流で、大学で知り合って恋愛結婚というのは、めずらしかったと思います。

父のファミリーですが、元々山口県の未だに家系図がのこっているような裕福な農家の出身なのですが、祖父がエンジニア志望で農家を継がず、国鉄にはいって(当時の花形職業)しまったので、その都合で全国を点々としたそうです。その後、祖父は結局、東京に落ち着くのですが、父は大学のある福岡にとどまり母と知り合いました。

母の方も山口県の農家(のはず)なのですが、農業というジミな印象ではなくて、貿易関係や市会議員、実業家などの親戚がやたらと多く、パッションとノリで生きているような叩き上げなかんじで、子供ながらに覚えているのは、やり手な大人がしょっちゅう集まって飲めや歌えやで、何やら享楽的で派手な一族という印象でした。

なので、父の方はお上品で良識もある親戚だったので「おじいちゃま、おばあちゃま」と呼んでいましたけど、母方はファンキーなんで「じーちゃん、ばーちゃん」でしたね。
事実、ばあちゃんは色が黒くてサングラスかけてるとこなんかは、「モータウンまんま」でしたよ。

そんなだったんで、父と母の結婚は父の家族は反対して、結婚式には、祖父だけしか出席しなかったらしいです。

えっと、私自身の誕生にもどります。

私が生まれたのは、H産婦人科というところです。、、、、あ、名前は伏せます。
なんで覚えているかというと、子供の頃、ばあちゃんがその前を通るたびに、「ここでアンタが生まれたんよ」って言ってたからです。その後、その病院はなくなってしまい、その時は、ばあちゃんは「子供いっぱい、おろしたけ、つぶれてしもたんやろ」と子供の私に言ってました。汗
考えたら、その頃はコンドームなどの避妊はポピュラーではなかったから、産婦人科も半分「闇の業務」をやっていたのでしょうね。合掌。

私は最初の子供だったので、両親の期待、また祖父母の期待を一杯に背負って生まれました。
愛されまくって、いろんなものをを食べさせられて、ものすごいデブでした。

生まれた時は父は小学校の教師、母は中学校の教師をやっていました。
母は私が生まれてからも仕事をやめなかったので、私は祖父母に預けられていました。
その頃、母の両親は門司港でお米屋さんをやっていたので、そこで生まれてから小学校2年生まで母が迎えにくるまでの時間を過ごしていました。

今から考えると、、、、。幸か不幸か、そのお米屋のロケイションがスゴかったんですよ。
その一角、わずか50メートル四方にあったもの、そこに住んでた人々。
いわゆる自分の原風景ですね。。。。

まず、となりがヤクザの家族。(全身入れ墨のヤクザのおいちゃんは、子供にはやさしかった)
左隣は剣道をやってる高校教師の家族。
その隣は超金持ちで庭もひろく、ものすごい門構えで顔もみたことない。
その前に在日コリアンの家族。(娘が仲良し)
斜め前には家に台所もないような長屋。(井戸を共同で使っていた)
そのとなりに駄菓子屋、その前が美容室。
そのとなりがクリスチャンの教会(ステンドグラスがプラスティックだった)
その前に天理教のお寺。。。。その反対側には銭湯、、、、、、。
50メートルから100メートルに広げるともっとすごいです。
花札の賭場(ここをやっていた娘は、秀才で毎年学級委員)もありました。
そして、散髪屋にクリーニング屋。文房具屋。
少しは慣れたところに、ブラックの男の子が住んでいて、でも母親とそのおばあちゃんと住んでいました。今から考えると戦争花嫁さんの息子さんでしょうね。我々と同じように日本語で、同じ学校に行き、普通に生活してました。

濃い!!!濃すぎるご近所でしょう?

そして、となりのヤクザの家族に双子姉妹。角の美容室にも双子の姉妹がいました。
ヤクザの双子はよく色違いのカーディガンを着ていて、走っている時の後ろ姿はその裾が後ろになびくので、マント状態!!
そして美容室の双子はふたりともいつも頭を盛っていて、頭がデカい!!
その上、いつもいっしょにいるんです。

マントの双子!盛りズラの双子!!
スゴくないですか?
おそろしい子供環境です。理想的?かもしれませんが。

二つで思い出しましたけど。
ちょっと行くと幼稚園がふたつあって、一つは丘の上、クリスチャン系の幼稚園。
もう一つは坂を下ったところに仏教系幼稚園があって、このふたつが文字通り、しのぎをけずっていたんですよ。
クリスチャン系の幼稚園は全てが洋風。建築もディズニーみたいな白い壁でできたローマ風の建物。景色のいいところにあって、いかにも西洋化ぶれしたようなところでした。(もちろん、私はここに行きました)
くらべて、仏教系の幼稚園は外からちょっと覗くと、仏壇やろうそくが見えて、暗くておどろおどろしい雰囲気で、子供ながらに「ここの幼稚園じゃなくってよかった」と思ってました。
入り口もクリスチャン系幼稚園は、王子様がその向こうに待っているようなかわいい洋風ゲイト!でしたけど、仏教系の幼稚園は、クロサワ監督の隠し砦のサムライが来そうなお寺の門!!!でしたから。

そしてこの私の直感を証明するような事件があったんです。

つづく。

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