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連載/瑪瑙ルンナ8

自分の事が専門のルンナです。
今回はそれに拍車をかけましょう。

「自慢!!」というやつ、です。(今までもさんざん、、、、、?)

今までは子供時代の回りの環境についていろいろ述べましたけど、肝心の自分はどうだったか??
(ここで言うのは、小学校低学年です。)

その頃、、、、、それがですね、「完璧」だったんですよ。

小学校入学の時、商店街の写真館で撮った写真を見るとその完璧さが一目でわかります。
もう自信満々な、傲慢とさえ思えるような笑みをうかべてます。
黄色い帽子にピンクのランドセル。(これはクラスで私ひとり。あとの女子生徒は全員赤でした)
そして、そのころ草履袋という(今から考えると、すごい言葉ですね!)上履きをいれるバッグがあったのですが。それがピンクでディズニーの百一匹ワンちゃんでした。これは何か理由があったのでしょうか?
母の趣味だったのでしょう。

後で、聞きましたが、写真館で撮るようなフォーマルな写真にそういう安っぽいキャラものを、
持っているというので、父の親戚の間では、私がかわいそうだと問題になったそうです。(もともと結婚にも不賛成でしたしね)
しかし、当の私は気に入っていました。ピンクのランドセルにピンクの上履き入れで、ディズニーは学校や幼稚園でもご推薦で、しかも唯一のキャラもの、そしてそのクオリティーも確かだった事はたしかです。


話がそれましたが、自慢を続けさせて頂きます。

まず、第一の自慢は、私は顔がかわいかったんです!!
子供にありがちなでっかい頭で、、、、。
(これが大人になってからはマイナスになるのですが、子供の頃はこれが利点になりました)
そして、頭もよかったです。(ほとんどが5段階評価の5)
運動も出来、運動会では、たいてい一位。学校内の絵のコンテスト、お習字のコンテストなどでは、かならず入選していました。
先生からも気にいられ、クラスでも人気者、人望もあり毎回一学期の学級委員をしてました。

その頃、学校のイベントで、学芸会というのがありました。
音楽の先生などが中心になってやる年に一回の一大イベントで、舞台にたてるのは学年200人くらいの中から、メインキャストの10人くらいで、あとは楽器、コーラスなどの音楽に回り、何も関われない人がほとんど。一方舞台に出る生徒は親がらみで衣装を作ったり、クラスが終わってからも残って練習をしたりで、学校側もかなりチカラをいれてました。

私が3年生の時の演目は、白雪姫でした。
そして、私は!!!
なんとその年、メインの「白雪姫」自身!!に選ばれたのでした!!!!
(これが原因で今でも「白雪姫」は他人とは思えない。少なくとも、親戚関係)

競争率は200分の1ですよ!!
勢いってスゴいですね〜〜。
ほんと、こわいもの知らず!です。
何も特別な事はしてないのに、何をやってもうまくいく!!!!
何をやっても注目され!!!愛され!!!評価される!!
今考えたら、この時が人生のピークでした。
(ここでこの自慢話は終わりにさせていただきます。)

そうですね、この白雪姫を境に、4年生くらいから、だんだん勢いが落ちてきました。

それは何故かというと、、、、。人生で最初に学んだ不条理です、、、、、。

「身体上の不利!!」

私は皆にくらべて、身長が伸びなくて「背が低い子供」になってしまったんです。
その頃の私はクラスでも二番目に小さくなってしまいました。
他の子はどんどん伸びて、運動なども体格の違いで先をこされてしまうようになりました。
大人のような体型の子供がどんどん現れてきて、そういう子が目立ち、もてはやされるようになりました。
チビの私はだんだんサイドの追いやられてゆきます。
ただ、急にというわけではなく、成績もまだよかったし、あいかわらず学年代表で式典などで挨拶をしたりなどは、ありました。

学芸会のキャスティングは毎年、話題の中心でした。
去年の白雪姫は今年はどうなる???という言ってみれば、ハリウッドのオスカー並みです。
その次の年は乙姫様でしたが、私に役はありませんでした。
(ちなみに、小学校最後の年は「裸の王様」だったのですが、私は「詐欺師の洋服屋」で返り咲きました。今考えると、白雪姫より、自分の人生はこっち!!だったんですね)

その他に、だんだん私のピークが衰退している例として、部活でソフト部にはいっていたのですが、私は最初、ショートだったのですが、背が低いというだけでセカンドになってしまい、これは屈辱でした。
ショートというのは、勢いのあるボールがよくくるし、ファーストに送球してもかっこいいので、自分的にはすごく気に入っていたのです。ところがセカンドというのは、ボールがきても、当たりそこないみたいなものが多く、送球する機会の多いファーストも近いので、なんか「ひょい」ってかんじで、投げる派手さがないですしね。打席はずっと一番バッターだったんで、もちろん3番、4番はもっと体格のいい子でした。

それから、学校とは別に地域でやっている「鼓笛隊」というマーチング・バンドがあったんです。
ボーイ・スカウトのようなユニフォームを着て、町のイベント等に呼ばれて、演奏をするのです。

そこでも、そういう大人のような体型の子が花形で、バトン・ガール(チアガールのようなもの)になっていました。これは他の学校の子も参加していたので、コミュニティーの中から選び抜かれたものすごいかわいい子ばっかりでした。
そこで私に与えられた担当はベルリラという楽器でした。
テッキンをクビからぶら下げて立ったままとか、歩きながら叩くヤツです。
小柄だった私にはこれは重かったです。地面に埋まりそうでした。

一時は白雪姫までやったのに、今では、重い楽器をクビからぶら下げて歩きまわるサーカスのピエロ!ハリウッドの落ちぶれ大女優の気持ちを10歳にして体験しました。

音楽といえば、母は私と妹をヤマハ音楽教室というのに通わせていました。
これは門司港をはなれ、隣町の小倉にありました。小倉は門司港より都会で、これに通うのに家族みんなでオシャレをして出かけていきました。
ここでは、子供に楽器全般を親しませるという目的だったらしいのですが、私の担当はなぜかいつも、カスタネットかトライアングルで、(ピアノや吹奏楽器などがあるにもかかわらず、です。)
母が先生に文句を言っていたのを子供ながらに覚えています。(母、強し!)
そのリベンジかなんか知りませんけど、その後、ピアノを7年間も習わされました。
この頃は女の子はピアノを習うのはわりと普通でしたが、私は本当に嫌いでしたね。
練習も嫌いだったし、やっていて何のおもしろみもありませんでした。
鼓笛隊でベルリラ担当になった理由も、私が「ピアノを習ってるから、鍵盤になれているだろう」という事だったらしいので、ピアノをもっと恨みました。

この私のストレートでない音楽体験は、この後の私の人生に、そして今でも、チラチラを顔を出すようになるんです。

今思うと、ヤマハ音楽教室の先生は先見があったのですよ。
私は鍵盤じゃなくて、リズムなんですよね。鼓笛隊の時もバトンガールじゃなくても、せいぜい小太鼓がやりたかったです。小太鼓をやってる子達は振り付けがあったりして、楽しそうでした。イギリスのバンド、フーのドラマーのキース・ムーンのような。。。。(ホントかい?)

ま、でもだからといって、人生、捨てた訳じゃありませんよ。まだ子供ですからね。笑
先が長いです。

そういう風に不条理を学びながら、夢中になったのは、、、、、、、そうです!!
その頃、世間で騒がれていたグループ・サウンズでした。

L*

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